2006年8月22日火曜日

SR-DVDの音

自分のオーディオシステムを眺めてみてコンポーネントの中で一番の弱点は、CD/DVDトランスポートのSR-DVDだと思う。

このトランスポートは購入した直後からあれこれ不満たらたらで、実際買い替え(買い足しかな)を決意して品物を注文したこともある。
(諸々の事情でご破算になっていますが。)

オーディオの音は聴くたびに微妙に音が違います。
音が違う理由はいろいろ考えられますが、聴く人の問題ではなく間違いなくスピーカーから出てくる音が変化していると思っています。
良く鳴っている時はやはり大変上機嫌な気分になりますが、どちらかと言えば「ベストではない」鳴り方をしている機会の方が多いのではないでしょうか。

そういうこともあって、私はこの「ベストではない」鳴り方でも必要最低限の鳴り方が出来るようにシステムを調整するようにしています。
調整の方向としては、

 1.出来るだけ音色に癖を持たせないこと。
 2.音楽を解剖学的に分解してその構造を視覚的に提示させる。
 3.スピーカの存在を消せるように音離れを良くすること。

というところでしょうか。

SR-DVDの音は情報量控えめでどちらかと言えば野暮ったい音です。
あまり良く鳴っていないときは、「プラスチック臭い音」と感じてSR-DVDだからしょうがないかな、とあきらめモードになる時もあります。

しかしどういう条件でそうなるのかよく分かっていないのですが、ときたま音楽を素の質感に近い状態で表現してくれることがあります。
情報量や音色が違うわけではないのですが妙に生々しく鳴る時があるのです。

そういう鳴り方をする時は、「これがゴールドムンドの音なんだな」と勝手に解釈するようにしています。
(SRごときのユーザーがえらそうなことを。。。と思われる方もいるかもしれませんが)


弱点だと分かっていても、わずかでもMAX状態の音の魅力を認めていると大事にしてしまいたくなります。
ベストでない状態の音でもそれを言い訳にするのではなく、「これだけ鳴っていてベストではないの?」と第3者から評価される音を目指してます。(汗)

2006年8月15日火曜日

靖国神社の参拝

今日の夕方は新聞も、テレビのニュースも首相の靖国神社参拝の件一色でした。
かの戦争で犠牲になられた方々の霊に敬意を表する立派な行為として報道されているわけではもちろんありません。

報道を見たり聞いたりしていると大体の趣旨は、
 1.中国と韓国の反発が必至なのに行った暴挙である。
 2.A級戦犯とされている方達と合祀されていることに、反感を持つ遺族の感情を逆なでする。

というものでしょうか。
つまり、テレビも新聞(うちは毎日新聞)も首相が靖国神社に参拝することには反対のようです。

私は住んでいる場所が遠いですので一度も靖国神社を参拝したことがありませんが、もし気軽に行ける場所にあるならば一度くらいは参拝したいと思っています。

正直、マスメディアがこんなに偏った意見で報道するのは違和感を禁じえません。

いくら敗戦の将だとはいえ、戦後60年も経過しているのに未だに戦争の責任を「A級戦犯」とされてしまった人たちのみに背負わせ、その末裔のわれわれ日本国民に罪の意識を持たせ続けようとする、その意図が理解できない。

過去に一体どういう状況で戦争が始まり、その戦争をどのように戦い、そして終結したのか。
かの戦争を避けるにはあの時どのような手段、方法があったのだろうか?

どうしてこれらのことがマスコミで積極的に議論されたり、研究されたりしないのか不思議です。
平和を願うのなら「戦争反対」を連呼するだけではなく、戦争がおこるメカニズムを積極的に研究しそれを防止する方法を真面目に考えるべきだと思う。

日本は戦後60年間平和でした。
この平和はどうやってもたらされたものでしょうか。
憲法9条が戦争を禁止しているからでしょうか。


ごく最近の戦争としてはイラクとアメリカの戦争がありました。(今も終結していないかもしれませんが)
この戦争はなぜ起こったのでしょうか?
イラクが起こしたのでしょうか?

実際に行われたのはアメリカの一方的なイラク本土への攻撃であり、会戦の理由は
 1.イラクは大量破壊兵器を隠し持っていて世界の平和の妨げになる。
 2.イラクはテロ組織と密接な関わりがある。

というものだったと思います。

イラクから大量破壊兵器はその後見つかったでしょうか?
アメリカで同時多発テロを起こしたアルカイダやビンラディンは、イラクが攻撃されたことでダメージを受けたのでしょうか?
イラクの人たちは戦争に負けたことで、戦勝国の戦争責任よりも自国の指導者達を戦争責任者として糾弾するのでしょうか?

レバノンとの停戦に合意したようですが、イスラエルは大量破壊兵器も核ミサイルも保有しています。
どうして誰も問題にしないのでしょうか。

私は近代の日本が自ら進んで戦争を起こす理由は、自国の防衛以外に無いと思う。
そして、かの戦争の後日本は自国で防衛するのを放棄して、アメリカの庇護の下で経済活動に専念してきた。

どちらかといえば私はこういう状況で経済大国となったこの土地で生を受け、その恩恵のみを享受していることに戦争で犠牲になった方々に対して申し訳なさのようなものを感じてしまいます。
とてもじゃないですが「戦争責任」などを当時の方々に求めるような、えらぶった考えは持てないですね。

2006年8月12日土曜日

ノイズウォールシールド その4

以前試してみて結果が良くなかった、DACの電源部への使用に再度チャレンジしてみました。
今回は、DAC本体に施したのと同じようにノイズウォールシールドをスマキ状に巻いて、シールドにアース線の先をクリップでとめてアースをとっています。

アース線は2芯のものを使ってみたかったので、ホームセンターで手に入れた吊り下げ照明器具用の丸打コードを使っています。
コードの先は自作電源タップの壁コンの側面にあるアース端子に繋いでいます。
タップを差しているオーディオ用の電源コンセントは土中アースを取っています。

音の変化は、初めて土中アースをとった時の変化に似ています。
土中アースを取った時ほどの劇的な変化ではないのですが、特に音像の描写がより具体的になり奥行きの表現がより緻密になる感じです。
オーディオ的な言葉で表現すればS/Nが上がったということになるのですが、一般的に「S/Nが上がった」というのとはニュアンスが違うような気がしています。

ノイズが減るということは、ノイズに埋もれて聴こえていなかった音楽情報がより抽出されるようになるということで、決してエッジが取れて丸くなるとか聴きやすくなるとかそういうことではありません。

単にオーディオの音がより現実の楽器の音、人の声に近くなるだけのことです。


2006年8月10日木曜日

オーディオ&ビジュアル趣味の取組

オーディオ&ビジュアルはお金のかかる趣味ですが、お金を使うことが必須の趣味ではないと思う。
まあ最低、システムを組むのにはお金がかかりますが、組んだシステムのパフォーマンスを上げる作業には必ずしもお金がかかるわけではない。

いわゆるセッティングやチューニングと呼ばれる作業は、基礎的な項目はいくつか確立されていますがそれが万能であるわけではなく、システム所有者の技量やセンスを反映させるのに限りない可能性があると思う。

ポテンシャルの高いアイテムを使用してパフォーマンスを上げることは出来ますが、そのアイテムから限界までパフォーマンスが引き出せているかどうかというところです。

例えば、左右のスピーカーから作り出される音像がわずかに左右のどちらかに寄ってしまうような現象を解決したいときにどんな高級なアイテムを持ってきても解決することは出来ないでしょう。
(ある程度立体音響を実現していると、左右の音量バランスを電気的に調整するような方法では根本的に解決できません。)


すぐに結果を求めるのではなく、日常で装置を使用しながらふと思いついたことを実践し効果を上げていく。
こんな装置との付き合い方もいいもんだなと最近感じています。