2006年11月26日日曜日

教育について

思い起こしてみれば、私が自分の将来の進路を具体的に意識しだしたのは高校3年生になってからでした。
具体的といってもなんとなく機械を設計する仕事に将来つけたらいいなという程度のことです。
そして今現在の私の仕事は機械の設計屋なので自分の志望した通りの進路を歩めた幸福なケースといえるかもしれません。

TVのIQ関係の番組を見ていて右脳と左脳どちらのタイプの特性なのか試しにテストしてみたら、私の場合右脳と左脳のバランスが取れているようで点数にほとんど差がつきませんでした。
学生時代を思い出してみても、科学技術などに対する興味はもちろんありましたが同時に文学作品などの本をたくさん読みました。
高校までの学科の成績は理系科目よりも文系科目の方が若干得意でした。


今世間では「教育問題」に関して話題に事欠かないようです。
いじめの問題、学校が履修単位をごまかしていた問題、教育改革の問題等々。。。

持論を述べれば、現在の教育で最も足りない要素は「世の中のしくみ」についてきちんと教えないことだと思う。
人間が生きていくのに必要な衣食住がどのような仕組みで成り立っているのかということ。

例えば、自分が口にする食べ物がどのような過程を経て自分の口に入ってくるのかきちんとイメージできる人がどのくらい居るのだろう。
食肉の加工現場などは見学するには刺激が強すぎるので、中学生以上を対象にするべきだが義務教育の間に衣食住の基本的な仕組みくらいは具体的に学ぶべきだと思う。

そうでないと「世の中のしくみ」の中に介在する人達の存在を感じることができず、自分の存在の座標軸を見失ってしまうと思う。
例えば捨てたごみを片付けている人の存在をイメージできればむやみにごみを捨てるようなことはできないはず。

自分がどうして生きているのか(生かされているのか)理解できないまま育ってしまうとその人個人の生き方、統べては社会や文化なども良い方向に成長することはできないだろう。

自分の力がどんな所で生かせるか、生かしたいのかを自分自身が活発に見つけることができるようにしてやるのが教育の目的であるべきだ。


そして教育は学校でのみ行われるものではない。
子供よりもまず先に親や教師の方を教育した方がいいんでないだろうか?というケースがあまりに多すぎる。
昔は。。。という言い方は好きではないのですが、今現在の大人たちに教育の問題を扱うのは荷が勝ちすぎるのかも知れませんね。

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