2011年3月20日日曜日

学生時代の話

今日は予定していたバイクのツーリングが雨で流れてしまったため暇です。
昔話を書いてみませう。

私は高校時代まで帰宅部でした。
保健体育の成績は高校3年間すべて通信簿は3でした。
鉄棒の蹴上げや振り上げなどはすぐにできるようになったし、1年の時は100m走12秒台を出していたのでそれ程運動が苦手ではないのですが球技などの団体プレーはてんで駄目でしたね。
保健のテストで100点をとっても通信簿は3でしたので多分体育教師に嫌われていたのじゃないかと思っています。(笑)

ブルース・リーやジャッキー・チェンなどの映画からの影響もありましたが当時週刊少年マガジンで連載していた「コータローまかり通る」の空手編などからすごく影響を受けて大学に入ったら空手部に入りたいと思っていました。
試合で勝てる自信がなかったのでできるだけ試合には出ないようにしてましたので4年間で公式戦の戦績は15戦6勝9敗で終わっています。
デビューしたての頃は全然勝てなくてやや自信が付いた頃には引退という感じでした。
今思えば知らない相手とやる真剣勝負は何よりも得るものが多いのでもったいなかったと思っています。

8人の同輩で経験者は二人だけでしたが最終的に最も強くなったのは私と同じ大学から空手を始めた人でした。(一人は退部)
当時の空手部にはコーチや監督などいなくて指導は現役の先輩達からのものがほとんどでした。
(たまに教えに来てくれる師範はいましたが)
血液型B型の彼は常識が最も欠けていたけれど練習は一番やってました。
授業の合間なんかで彼との自主練に付き合っていたので良く覚えています。
私は黙々と練習するタイプですが彼は創意工夫して編み出した「必殺技」を色々試したりしてましたね。(笑)
彼だけは強豪の近大などのチームと試合をしても勝っていました。

大学では年に1回学内駅伝大会が催されていました。
200チーム以上が参加するこの大会で私はだいたい区間20番台でした。
空手部は道着で裸足という条件で走ります。
私は部内でのスピードではトップクラスでした。

私が5回生の頃ですが4学年下の1年生部員で花の1区を走った部員が先頭集団で帰ってきて2位でたすきを渡しました。
周りは陸上部などの走りのエキスパートに囲まれて彼だけが道着に裸足という出で立ちでの快挙です。
この時は本当に感動しましたね。
ただ彼は男子なのに体重が40kg台しかなくてとても空手をやるにはフィジカルが足りず強くなることはできなかったようです。
木村紺さんの漫画作品「からん」で登場する京(みやこ)を見ると彼の事を思い出します。

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