2010年10月30日土曜日

母の近況1010

入院している母親の病室には基本週一のペースで通っています。
入院してから1年と8ヶ月くらいになりますが特に状態が良くなるということはないですね。

小倉の病院は4ヶ月ほどで他の病院に移って欲しいと言われ戸畑の病院に移って現在に至っています。
母は戸畑に実家があり、病院も建設されてからあまり年月が経っていない新しい病院ということもあり今の病院に対しては何も不満はありません。

母は倒れて病院に搬送された直後は医師の所見でもって2日くらいの命だろうと言われましたし、医師から見せられた脳のレントゲン写真は素人の私の目から見ても絶望的な気持ちにさせらるに十分なものでした。

医学的には生きている状態ではあるのですが自分の意志で手足はもちろん首一つ動かすことが出来ず年中ベッドに寝たきりの状態です。
私が母を見舞った時は必ず四肢の関節を動かしてやるようにしていますが、動かさない関節は徐々に固まってきて可動域がどんどん狭くなってきます。
体を動かさないせいかしょっちゅう顔や手足がむくんだりして何も意思表示が出来ない状態ですがたぶん相当つらい思いをしていると思います。

奇跡的に脳の機能が回復しても体はもう二度と立ち上がったり出来ない状態になっています。
もし自分が同じような境遇に陥ったとしたら選択できるなら間違いなく殺してくれと言うでしょう。
母は息はしていますが自分の中ではもう「死んでしまっている存在」です。



脳卒中で倒れる前の母は脳に障害が出るそぶりなど全くありませんでした。
低血圧ですし、倒れる3,4年前に正月にトランプで神経衰弱をやったら私が勝てないくらい頭はしっかりしていました。
倒れる二日前に家族で外食に出かけ帰りのタクシーの中で私に「空手を子供に教えてやったら」などとたあいもない話をしていました。
母が最後に私に残した言葉は「明日は雨が降るよ」でした。
私が日頃バイクに乗っているのを心配していて雨の日は絶対にバイクに乗せたくないと心配しての発言です。

一緒にずっと暮らしていると正直「うっとうしい」と思うことも多々あったのですが、母が自分の中では「死んでしまった」存在になってから自分自身のなかに黒いしこりのようなものができて普段の生活の中では考えないようにしているのですがふとしたきっかけで発作のように深い悲しみに襲われることがあります。

この悲しみは多分自分がこの世から消えてしまうまで一生消えることはないと思います。

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